2005.08.13 Saturday
85年8月の日航ジャンボ機墜落事故から20年を迎えた。
命を奪われた520人の遺族や村関係者、
日本航空の新町敏行社長ら計約260人が参列した。
20年前のこの日のことはよく覚えている。
高校生だった。その日はバイトの休みの日だったと思う。
父親が夏休みで家にいた。
TVの速報で、日航ジャンボが行方不明の一報が流れた後、
電話が鳴った。親父の会社の方だった。
どうやら、会社の専務が乗っているのではないかという。
一気に緊張感が高まる。
気にはするが、現実的ではないニュースが現実的になった。
時間が経過する毎に電話が鳴る。
専務の旅行日程を預かっていた社員からだったらしい、
行方不明になった便と同じ便に搭乗予定とのことだった。
今のように携帯なんてない。連絡手段がない。
搭乗名簿の名前が発表された。カタカナで名前が並んでいた。
その中に専務の名前があった。
乗っているらしいから、乗っていたに変わった。
阪神球団でもおなじような雰囲気になっていたと思う。
球団社長だった中埜さんも搭乗していた。
そして、20年前に阪神は初の日本一になった
相次ぐ日航機の事故。歴史は繰り返す。タイガースも優勝だ
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